福岡地方裁判所 昭和34年(わ)254号 判決 1959年6月23日
被告人 田中一夫
大二・五・一六生 採炭夫
主文
被告人を無期懲役に処する。
押収にかかる匕首一本(昭和三十四年(裁)第六三号の一)はこれる没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は生家が貧しかつたため小学四年で中途退学して桶屋に弟子奉公をし、その後炭坑夫として職場を転々としているうちに昭和十四年春頃当時の内縁の妻及びその母親を殺害したことにより同年十月四日無期懲役刑(昭和二十七年四月二十八日政令第一一八号減刑令によりその刑を懲役二十年に減軽)に処せられたが、昭和二十六年九月一日仮出獄を許されて出所しその後間もなく現在の妻トミと婚姻し爾来採炭夫として稼働しながら五人の子供を養育して平穏な家庭生活を営んでいた。
ところが昭和三十三年十二月二十六日被告人は前夜遅くまで妻の母より同女の医療費について相談を受け、疲れていた上風邪気味で気分がすぐれなかつたが、年の暮を迎えて乏しい家計のことを考えると仕事を休むこともできずやむなく平常通り勤務し、夕方疲れ切つて帰宅したのに妻が自分の気持を察せず好きな晩酌の用意を日頃に似合わずしてくれなかつたこと等から腹を立て子供を使わして買わせた冷酒をがぶ飲みした勢で妻の顔面を二、三回殴りなおも妻を責めようとしたが妻が戸外に逃れたため被告人は気持が治まらぬまま雇主の藤光七之助方において妻に対する不満を述べていたところ、かねて自分が面倒をみてやつていた同僚の壇貢(当時三十二年)が被告人の夫婦喧嘩のことに横から口をいれ却つて被告人を非難したのでこれに憤慨し互に口論となつたが、居合せた井上巡査に制止され説諭を受けて自宅に連れ戻された。然しながら被告人は右壇の人となりを考えて同人との争いに話を解決つけておく方が後日のため良いと思い右壇方に赴くべく出かけ
第一、同日午後十一時二十分頃その途中福岡県宗像郡宗像町大字須恵湯浅正道方前附近県道上で折から通行中の神田熊雄(当時二十八年)に行合うやこれと口論をはじめ気のたつているままに同人が壇との交渉を邪魔する者と速断して或は死の転機を来たすことあるやもしれないと予測しながら敢て同所附近において所携の匕首(昭和三十四年(裁)第六三号の一)をもつて同人の左下腹部を一回突き刺し因つて同人をして昭和三十四年一月九日福岡市新開町佐田外科病院において左側腹部刺創、腸管脱出、腸管切創等による外傷性汎発性腹膜炎のため死亡させ
第二、次いで右犯行後間もなく前記同所附近前田末徳方前庭に至り「壇出て来い」と大声で怒嗚り呼出をかけたところ、その呼声に応じて同人が前庭に飛出し意外にも直につかみかかつて来たのでこれに激昂して殺意を生じ前記所携の匕首をもつて同人の左側胸部、左側腹部等を突き刺し因つて同人をして間もなく同所附近において左側腹部の刺創に基く左腎、左腸腰筋、腹部大動脈の刺切による外傷性失血のため死亡させ
以つてそれぞれ殺害したものである。
(証拠の標目)(略)
(法律の適用)
被告人の判示第一、第二の各殺人の所為は孰れも刑法第百九十九条に該当し、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるが、情状について考察するのに、被告人は判示のとおり昭和十四年十月四日殺人罪により無期懲役刑に処せられ現在仮出獄中の身であるにもかかわらず、本件犯行に及んだものでその結果の重大性、一家の支柱を失つた被害者の遺族の悲歎、苦悩並びにこの種犯罪の社会公安に及ぼす害悪等を併せ考慮すれば被告人の犯責は極めて重いといわなければならない。然しながら他面本件記録によれば被告人は昭和二十六年九月一日仮出獄後現在の妻と婚姻して三児を儲け、妻の先夫の子を含めて五人の子供を養育し仮出獄中の身であることを自覚して自己の行動を慎しみ、約七年余に亘つて真面目に仕事に励んで来たこと、被告人は酒癖が悪かつたので平素これを自粛し人前ではつとめて飲酒しないようにしていたが、偶々本件犯行前夜より金銭上の問題、心身の疲労等によつて気分がすぐれなかつたのを、犯行当日は正月前に子供に靴の一足でも買つてやりたいとの親心から無理をして仕事に出かけたのに、疲れて帰つてみれば風呂の湯加減は悪く、好きな晩酌の用意もしてくれていなかつたため夫婦喧嘩となりかかる悪条件が重なつて冷酒を飲んだ結果平素の酒癖がでたところに壇から夫婦喧嘩に口をいれられ予期しなかつた非難をうけ同人と口論となりその争に話を解決つけようとして出掛けてついに本件犯行となつたものであること及び犯行に供した前記匕首は夫婦喧嘩の末外に出た妻に対し愛を秘めながらも更にこれを責めいじめようと思い下駄箱より持ち出したものであり、壇と口論した後一旦自宅に連れ戻されてから再び判示わが家の出かけのとき茲にはじめて持ち出したものでなく、而もそのときは我が身にこれを帯びていることの認識のなかつたこと(途中竹棒を拾たこともその裏づけとなし得る)従つて本件犯行は当初から計画的に意図されていたものではなく、特に判示神田に対する犯行は壇との交渉を邪魔するものと速断し未必の故意にかかるものであり、本件各犯行の態様も残虐性は少く犯行後被告人は深く前非を悔い改悛の情も極めて顕著である等被告人の平素の行動、犯行の動機、態様等に有利な情状も認められるので極刑に処するよりも寧ろその反省に服させるのを相当と思料し、犯情の重い判示第二の罪の所定刑中無期懲役刑を選択し同法第四十六条第二項本文により他の刑を科さず、被告人を無期懲役に処し、押収にかかる匕首一本(前示同号の一)は本件各犯行の用に供したもので被告人の所有に属するものであるから同法第十九条第一項第二号、第二項によりこれを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 後藤師郎 藤島利行 高橋朝子)